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書評

アルトゥール・ウッツ著、島本美智男訳

『経済社会の倫理』晃洋書房2002.8.刊行

『東洋経済』2003.2.22.所収

 

 

カトリックの経済思想を現代的な観点から述べ直した本書は、私たちが「経済社会の豊かさとは何か」を問う上で貴重な指針を与える一冊だ。その基本思想は、現代のコミュニタリアニズムに通底する。すなわち、社会には人々が共有しうる「共通善」があると想定した上で、あるべき経済制度の規範やマクロ経済政策の理念を、体系的に導こうとするのである。

著者によれば、人間はその本性からして、私利よりも自己の人格的完成を目指すものであり、人は誰しも共同体の目的全体に貢献するような、何らかの義務を負っている。そして各人が追求する個別の善は、共同善の一部として位置づけられるのであり、マクロ経済の目標もまた、各人の究極的な目的追求に照らして与えられねばならない。こうした観点から、経済成長、物価の安定、環境保護、完全雇用、賢明な投資と消費、などの理想を集合的に追求することが、人々の人格的完成を支援するための前提条件(共通善)として正当化されている。

プロテスタントの経済倫理学が人間の理性と神の理性のあいだに深い断絶を見るのに対して、カトリックの思想は、一部の専門家が神の究極目標を推論し、それに従って合理的な経済体制を構想できると考える。例えば、創造主に晴天を乞う農夫は、なるほど十分な収穫を確保できれば祈願を止めるであろうが、しかし彼は、はじめから最少の手段によって最大の利益を上げようとするのではない。祈願という信仰は、手段選択の合理性に依存せず、経済的な思考を超えた合理性(神の目標への貢献)をもつ。カトリックの立場からすれば、マクロ経済の諸目標もまた、そうした信仰に適う合理性を追求すべきだということになる。

 あまりに理想的な議論だと思われるかもしれないが、しかし著者は、人間行動に対するある種の不信を忘れてはいない。理想とは逆に、人間は実生活において共同善を忘却するものだ。そこで著者は、市場の見えざる手、すなわち、個別の利益追求がその意図せざる結果として共通の利益を促進するという原理を積極的に認め、利子や私有財産制の合理性を高く評価する。問うべきは、各人の善をいかにして共通善に結びつけるか、という点にある。著者はいわば、見えざる手を補うための理性的な倫理を模索している。通常の経済学的な発想に抗して、倫理の観点から経済の目標を導出しようと企てた本書は、国民国家の経済的目標を考える上でも大変示唆的だ。なお本書は、大著『社会倫理』(1994)の一部、全五巻本の第四巻の翻訳であり、著者の体系的思考の深さを伺わせる。

 

橋本努(北海道大助教授)